※この記事は、実際にあった出来事をもとに脚色した物語です。登場人物と物件は特定できないよう変えています。お金・法律・手続きの部分は事実のままです。
「きれいどころ」を三件
この仕事を始めてしばらく経つと、ヒアリングには「型」ができてくる。
ご予算、駅、間取り、築年数、設備。順番に聞いて、条件に合う物件を検索して、きれいなところから並べる。だいたい、それで決まる。
その日のお客様も、型どおりに進んだ。
三十代後半か、四十代の前半か。男性で、一人暮らし。仮に、タカギさんとしておく。
聞いた条件は、ごく普通だった。駅から歩ける距離、一人で住むのにちょうどいい広さ、無理のないご予算。僕は検索して、条件に合う中からきれいなものを三件選んだ。白い壁、きれいな水回り、静かな住宅街。写真を見せると、タカギさんは「いいですね」と言った。
「では、見に行きましょう」
社用車に乗って、一件目へ向かった。

しっくりこない
一件目。きれいだった。築浅で、日当たりもいい。
タカギさんは部屋を一周して、「うん」と言った。それだけだった。
二件目。これもきれいだった。前のお客様なら、ここで「いいですね」と声が上がる物件だ。
タカギさんは、またひとまわりして、「うん」と言った。
三件目。一番高くて、一番きれいな部屋。僕としては、ここが本命だった。
タカギさんは窓の外を見て、少し黙って、それから僕のほうを向いた。
「なんだろうな」
「はい」
「悪くないんですよ。どれも、きれいで。でも、しっくりこなくて」
僕は、次の言葉を待った。
「こういう、小綺麗な物件じゃなくて。もっと、なんだろ……言語化できないんだけど……」
タカギさんは、そこで言葉を切った。本当に、言葉が出てこないようだった。
普通なら、ここで僕は焦る。三件見て、全部外した。条件は合っているのに、何が違うのかわからない。「他にも探してみます」と言って、次の候補を同じ条件で検索して、同じようにきれいな部屋を出して、同じように外す。そういう日が、過去に何度もあった。
でも、その日は違った。
「小綺麗じゃなくて」という言葉と、三件目の窓の外に広がっていた静かな住宅街を見ていて、頭の中で何かがつながった。
あ。ひょっとして。

「もう一度、事務所に戻ってもらっていいですか」
「タカギさん、すみません。もう一度、事務所に戻ってもらっていいですか」
タカギさんは、少し意外そうな顔をした。
「探し直します。たぶん、僕の探し方が間違っていました」
正直に言うと、確信はなかった。でも、確信がないまま四件目のきれいな部屋に連れて行くよりは、ましだと思った。
事務所に戻って、僕はもう一度、検索の条件を開いた。
駅、広さ、ご予算。ここは変えない。
変えたのは、「どこに建っているか」だった。
今まで、僕は無意識に「住宅街」を選んでいた。静かで、きれいで、家族でも一人でも安心して住める場所。それが「いい物件」だと、疑っていなかった。
その前提を、ひっくり返した。
駅前の繁華街。一階が飲食店で、上がごちゃごちゃした雑居ビル。両隣も居酒屋。夜はにぎやかで、看板の明かりが窓まで届くような場所。普段なら「ここはちょっと」と候補から外す物件を、わざと一件、引っ張り出した。
「タカギさん、一件だけ、見てほしい部屋があります」
内見の予約を取って、もう一度、社用車に乗った。

窓の下に、街があった
その物件は、繁華街のど真ん中にあった。
ビルの入口は飲み屋の看板に挟まれていて、エレベーターは小さくて、廊下は少し薄暗い。三件目のきれいな部屋とは、何から何まで反対だった。
部屋のドアを開ける。
タカギさんは、まっすぐ窓に向かった。
窓の下には、飲食店の看板と、行き交う人と、路地を走る自転車と、ごちゃごちゃした街があった。
「これこれ」
タカギさんの声が、今日はじめて、大きくなった。
「これだよ。俺が求めていた物件は」
三件のきれいな部屋をまわって、ずっと「うん」しか言わなかった人が、窓の下の雑多な街を見下ろして、笑っていた。
僕はその横で、ようやく息を吐いた。
タカギさんが「言語化できない」と言ったものの正体は、たぶん「街の中に住んでいる感じ」だったのだと思う。静かな住宅街の、きれいな部屋。それはタカギさんにとって、どこか自分の場所ではなかった。窓を開けたら街の音がして、下を見たら人がいて、夜になっても明かりが消えない。そういう場所でなら、落ち着けるという人が、いる。
その日のうちに、申込書を書いてもらった。

十人十色
あの日から、僕のヒアリングは少し変わった。
条件を聞くだけじゃなく、「どんな景色の中で暮らしたいですか」と聞くようになった。静かな住宅街と答える人もいれば、「駅前のにぎやかなところがいい」と答える人もいる。
「いい物件」は、一つじゃない。
僕が「きれいどころ」と呼んでいた部屋は、僕にとっていい部屋だっただけだ。お客様にとっていい部屋は、お客様の中にある。それを、お客様自身が言葉にできないことも、ある。
だったら、こちらが拾うしかない。「しっくりこない」の一言を、聞き流さないで。
三件目の窓の外を見て「あ、ひょっとして」と思えたあの日のことを、僕はいまも、ヒアリングのたびに思い出す。
お客様は、十人十色。
当たり前の言葉だけど、それを本当に教えてくれたのは、雑居ビルの窓から街を見下ろして「これこれ」と笑った、あの人だった。


コメント