【実話ベース】ルームシェアの相方が「彼氏ができた」と出て行った。残された彼女が、家賃全額と更新料と「敷金返して」を抱えて来店した話

相方は、彼氏の家へ。残ったのは、家賃全額。 現場の物語

※この記事は、実際にあった出来事をもとに脚色した物語です。登場人物と物件は特定できないよう変えています。お金・法律・手続きの部分は事実のままです。

プロフィール
この記事を書いた人
正 直(ただし なお)

はじめまして!「とんでも不動産」の正直です。

品川区のオフィス街にある「とんでも不動産」で、駆け出し営業マンとして毎日もがいています。入社して間もない僕のもとに、とんでもないご相談を持ち込むお客様が次々とやってきて、四苦八苦しながら業界の裏側を"正直"に学んでいる毎日です。

口癖は「ぶっちゃけますけど…」「同業者に怒られますけど…」。こんなこと教えたら僕の営業成績下がるんですけど、お部屋探しで損しないために必要な現場のリアルを、未熟ながら誠実にお届けします。

いつかは先輩、主任、店長…と昇進していく予定です(たぶん)。一緒に見守ってもらえたら嬉しいです!

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鍵は二本

この仕事を始めて、まだ間もないころの話だ。

「二人で住める部屋を探しています」

カウンターの向こうに、同じ年ごろの女性が二人、並んで座った。専門学校の同級生で、社会人になって三年目だという。仮に、サキさんとユイさんとしておく。

「一人だと家賃がきついけど、二人なら少しいい部屋に住めるかなって」

希望ははっきりしていた。部屋の広さが同じで、お互いの部屋を通らずに出入りできること。いわゆる「振り分けタイプ」だ。

何件か案内して、ある2DKの廊下で、二人の足が止まった。右に一部屋、左に一部屋。真ん中にダイニングキッチン。広さはほぼ同じ。

「こっち、私でいい?」

「いいよ。じゃあ私はこっち」

部屋割りは十秒で決まった。

申込をいただき、保証会社の審査が通り、契約の日。契約は二人とも借主になる「連名契約」で、契約書の借主欄に二つの名前が並んだ。家賃は折半、敷金も二人で出し合った。

鍵は二本、お渡しした。

こういう友達同士っていいな、と僕は思っていた。

内見中の2DKの廊下で、左右の部屋を指さして笑い合う二人の女性と、後ろで微笑む正直くん

二年後、一人で

それから二年近く経った、ある平日の夕方。

サキさんが、一人で店に来た。

「相談があって」

あの日、廊下で笑っていた顔ではなかった。

聞けば、ユイさんに彼氏ができたのだという。先月、荷物を運び出して、彼の家に移った。鍵は部屋に置いてあった。サキさんが知ったのは、荷物がなくなった後だった。

「家賃、折半だったんです。それが急に全額になって。今月は貯金でなんとかしました。でも、来月は無理です」

更新の案内は、もう届いていた。更新日は三週間後。更新料は家賃一か月分。

「払えません。引っ越したくても、初期費用がないんです。……ここに居られないのに、出られない」

最後の一言が、小さく震えた。

「敷金、私の分、返してほしい」

「それと」

サキさんがスマホを出した。ユイさんからのメッセージだった。

「敷金、私の分、返してほしい」

僕は画面を二度見した。

部屋を出て、家賃を払わなくなった相手から、敷金の半分を請求されている。しかもサキさんは、先月からその人の分の家賃を一人で払っている。

「ユイの言うことも、わかるんです。敷金は半分ずつ出したから。でも……」

スマホをしまったサキさんは、「どうすればいいか、わからなくて」と言った。

夕方の店で、一人で来店した女性がスマホの画面を見せ、契約書を前に驚く正直くん

わかっていることと、わからないこと

正直に言うと、僕もすぐには答えが出なかった。

ただ、一つだけ決めていた。わからないまま「大丈夫ですよ」と言わないこと。

契約書を出して、わかっていることを順に説明した。

まず、連名契約なので、大家さんから見れば家賃を払う義務は二人にある。ユイさんが出て行っても、それは変わらない。ユイさんに家賃を請求できる立場に、サキさんはいる。

次に、敷金。これはいま大家さんが預かっているお金で、サキさんの手元にはない。戻ってくるのは退去して部屋を引き渡した後、原状回復の費用を引いた残りだ。ユイさんに「返してほしい」と言われても、いま渡せるお金はどこにもない。戻ってきたあとの分け方は、二人で決めることだ。

そして、更新料。

ここで僕は、カレンダーを見た。

更新日まで三週間。解約には、契約書で決められた一か月前の予告がいる。今日解約を申し出ても、退去は早くて一か月後。更新日をまたぐ。

まだ転居先も決まっていない。探して、申込をして、審査を通して、契約して。どう数えても、更新日のほうが先に来る。

出て行くと決めた部屋の更新料を、一人で払う。それは重すぎた。

「更新料のことだけ、少し待ってください。オーナーさんに相談してみます」

「そんなこと、できるんですか」

「わかりません。でも、聞かずに諦めるのは違うと思います」

オーナーさんへの電話

サキさんに少し待ってもらい、僕はその場でオーナーさんに電話をかけた。

正直に全部話した。二人で借りていた部屋の片方が出て行ったこと。残った一人が家賃を全額払っていること。転居先を探しているが、更新日には間に合わないこと。

そして、お願いした。

「転居先が決まって退去するまでの間、更新料をいただかずに、そのまま住まわせていただけませんか。家賃はこれまでどおりお支払いします」

受話器の向こうで、少し間があった。

「その子、二年間ちゃんと払ってきたんだよね」

「はい。一度も遅れていません」

「じゃあ、いいよ。次が決まるまでね」

僕は受話器を持ったまま、頭を下げていた。

更新料は、契約で決めるお金だ。貸す側が「今回はいらない」と言えば、それで済む。法律が助けてくれたわけではない。二年間きちんと払ってきたサキさんの積み重ねが、オーナーさんを動かした。それだけのことだ。

電話を切って、カウンターに戻った。

「次が決まるまで、更新料はいらないそうです」

サキさんは、しばらく何も言わなかった。

「……ありがとうございます」

それだけ言うのに、ずいぶん時間がかかった。

受話器を耳に当てたまま深く頭を下げる正直くんと、カウンターで心配そうに見守る女性

初期費用を抑える、ということ

ここからが、僕の仕事だった。

条件は一つ。初期費用が、いまの貯金で払えること。

礼金がない部屋。敷金が一か月分の部屋。家賃は、一人で払える額まで下げる。広さは、二の次。

一週間ほどで、候補を三つ出した。サキさんが選んだのは、礼金なしの1K。前の部屋の、片方の部屋くらいの広さしかない。でも駅から近くて、日当たりがよかった。

申込、審査、そして契約。

今度の契約書の借主欄には、一つしか名前が入らない。サキさんはそこに、自分の名前を書いた。

書き終えてペンを置き、ぽつりと言った。

「一人の名前って、こんなに軽いんですね」

僕は、うまく返せなかった。でも、サキさんの顔は、二年前に廊下で笑っていた顔に、少しだけ近づいていた。

鍵は一本

同じ週に、前の部屋の解約手続きも進めた。連名契約の解約には二人の署名がいる。ユイさんの分は、サキさんが取りに行った。敷金の分け方も、そのとき二人で話をつけたらしい。中身は聞かなかった。戻ってきたサキさんは、「終わりました」とだけ言った。

新しい部屋の契約開始日。

サキさんが店に来て、初期費用の入金を確認して、僕は鍵をお渡しした。

一本だった。

二年前、この同じカウンターで、僕は二本の鍵を渡した。今日は一本。

サキさんは、その鍵をしばらく手のひらに乗せて見ていた。

「軽いですね、これも」

そう言って、少し笑った。

カウンター越しに一本の鍵を受け取り、手のひらの鍵を見つめる女性

二本と、一本

数週間後、前の部屋の退去立会いが終わり、敷金の精算書が届いた。原状回復の費用を引いた残りが、サキさんの口座に戻った。それをユイさんとどうしたのかは、やっぱり聞いていない。

二年前、僕は二人でちょうど半分に分けられる部屋を探した。今回は、誰とも分けなくていい部屋を探した。

どちらも、同じ仕事だ。誰かと暮らすための部屋を探すのも、誰かと別れたあとの部屋を探すのも。

ただ、渡す鍵の本数だけが、違った。

二本の鍵を渡したとき、僕はこの二人がずっとこのまま楽しくやっていくと、勝手に思っていた。一本の鍵を渡したとき、僕は何も思わないようにした。先のことは、誰にもわからない。

それでも、帰り際のサキさんの背中は、来店した日より少しだけまっすぐだった。

それだけで、十分だと思った。

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